気まぐれ短編クリスマス編②「山神様にお願い」後編



 2階には一部屋しかない。8畳ほどのその部屋は一面緑色に塗られ、トラさんが育てている観葉植物がところ狭しと置いてある。真ん中に従業員で使う長テーブル。それから椅子が2脚。古びたソファー。そして部屋の隅っこに、トラさんが使ってるのだろうと思われる毛布と枕が置いてあった。トラさんはそこで横になって、スースーと寝ている。

 ・・・気持ちよさそうに寝てる・・・。

 私はゆっくりと音をたてないようにして近づいて、眠る彼を見た。

 白くてピンと張った肌、つりあがった狐目。つんと尖った鼻。笑うと大きくあけられる口。今は閉じられているこの瞳が、最後に私を見たときには冷たい色を浮かべていた。

 私はそばに寄って、泣きそうになりながらトラさんの寝顔を見つめる。・・・ちょっとやせたみたい。ご飯ちゃんと食べてないのかな。今は力をうしなって転がっている右手から、つ、とタバコの匂いがした。

 普段は吸わないらしく家でも彼がタバコを吸うことはなかったけれど、どうやら店では吸っていたらしい。

「・・・イライラしてた、ん、だろうなあ~・・・」

 私は小さな声で呟いて、鞄とコートをぬいで後ろの床に置いた。スースーと寝息が聞こえる。閉じられた瞼。あけて私を見たら、一体どんな顔をするだろう――――

 ずっとそうして寝顔を見ているわけにもいかない。大体龍さんが下で心配しているだろう。私はちょっと躊躇したけれど、ゆっくりと右手をトラさんの頬へ伸ばす。触れたかったのだ。久しぶりに見ることが出来た、やっと会えたこの人に。

 そうっと彼の頬を指先で撫でる。

「――――トラ、さー・・・」

 ぱっと、彼の目が開いた。

 そして一瞬凄い力で体がつかまれたと思ったら、転がされて引き寄せられ、手首を床に押し付けられる。

「うっひゃあああああ~っ!??」

 私は叫んで、目を見開く。気がついたら私は彼に組み敷かれていた。

「なっ・・・なっ・・・なっ・・!」

 私の上に覆いかぶさったトラさんは、眠そうに瞼を瞬いてぼんやりした表情で私を見た。中々焦点があわないらしい。

「・・・おや、シカ坊」

「ちょちょ、ちょっと店長~!いきなり何するんですか~っ!」

 私は組み敷かれたままで叫ぶ。何が起こったのかわからなかったけれど、とにかく今自分がどういう格好をしているかは理解した。スーツのスカートはふとももまでずり上がってしまっている。

 う~ん?と微かに首をひねって、トラさんは言う。

「・・・えーと・・・たーぶん・・・寝込みを襲われそうになったから、応戦したんだ、と思う・・・」

「おおお襲ってない!起こそうとしたの、普通に!普通に~!」

「ああそう」

「店長っ!?ちょっと、ちゃんと起きてくださ~い!」

 はいはい、そう言って、トラさんはやっと床に押し付けた私の両手を離してくれた。ふあああ~と欠伸をしながら壁にもたれかかって座り、目元をこすっている。

 私はどうすればいいかわからずに、とりあえず起き上がって彼に言う。

「あの・・・おはようございます」

 場所が場所だからか、私はつい敬語になる。一緒に暮らし始めてからは距離を感じるからため口で話すようにってトラさんに散々言われてきたのに。

「うん、おはよ」

「えっと・・・店長、大丈夫ですか?」

「あ?ああ、うん。それよりシカ」

 はい?と聞き返した私を、こすっていた片手をちょっとずらしてトラさんが見た。その目はもうしっかりとした光が宿っていて、私はびくりとする。・・・これって、機嫌はよくなさげじゃない・・・?

 たら~っと冷や汗が背中を流れたのを感じた。

「どうしてさっきから、店長呼びなわけ?口調もですますだし?」

「へっ・・・」

 私はひきつった。・・・ああ、そういえばそうだ。私、敬語だけでなく、店長って呼びかけている。

 同棲を始めてこれも彼に散々言われてきたことだ。「俺を店長って呼ぶの、そろそろやめようかー」って。トラって言え、と。それを恥ずかしがる私を苛めて苛めてからかいまくって、彼はさんざん喜んだのだ。

「ええと・・・あの、ついです、つい。だってほら、ここはお店だし!」

 私は必死になって説明する。家では勿論トラさんって呼べるのだ!だけどここは山神の森で、ここにくるとどうしても従業員だったころの記憶を思い出してしまう。これって仕方ないことだよね~!?

「ですますはともかく、名前で呼んで」

「あの・・・はい。えっと、じゃあ、トラさん」

「ん」

「帰りましょう、そろそろ」

「ん?」

 トラさんはまだちょっとぼーっとした顔で、私を見た。私は座ったままでもう少し近づいて、小さな声で言う。

「一緒に部屋に戻りましょ?ここで寝てちゃダメですよ」

 彼はもう一度欠伸をした。それから手で髪をぐしゃぐしゃとかき回して、目を細めて言う。

「――――もう俺が嫌になったんじゃなかったのか?」

「えっ!?い・・・いやいやいや!そんなことないですよ、何言って・・・」

「だって自営業の彼氏じゃ不満なんだろ」

「不満なんかじゃないです!あの・・・私が間違って・・・」

「俺はスーツ着ない」

「え、あ、はい。それでいいんです」

「だら~っとするのが好きだし。裸足も好きで、外見はあんま気にしない」

「判ってますよう!それでいいんです!」

 トラさんが天井あたりに視線をさまよわせながらたらたらと呟くように言うのを、私は必死になって打ち消した。私が間違っていたのだ。彼は彼で、唯一無二なのに。それなのに、他の皆と同じようにして欲しいと思ったなんて、失礼極まりないって。

「ごめんなさいっ・・・私が、その――――」

 トラさんがぱっとこっちをむいてククク・・・と笑った。

「・・・必死だな、シカ」

「うっ・・・」

 悔しい。私はついに涙ぐんだ。いつもの緑の部屋、この森で、主のようなトラさんは大きくにやりと笑った。

「―――――判ってる。ずっとグチグチ言うから、鬱陶しくてからかっただけだ。シカが俺にぞっこんなのは知ってるよ~」

 ・・・もううううう~・・・。からかいで家出したってこと!?もう、もう~!

「お店の皆さんに迷惑かけたって聞きましたよ!」

 私は怒り心頭でそういいながら詰め寄る。トラさんはちょっと首を傾げた。

「んあ?そ~んなことしてないよ~。ほら、猫かぶってたのを、外しただけだよ。俺は元々それが普通なの」

「そそそんなことないでしょ!ウマ君を泣かしたってツルさんが言ってましたよ!」

「はあ~?そ~んなことしてねえぞ。俺は要求を口に出しただけだし」

「・・・なんて言ったんですか?」

 トラさんはまだ眠そうな目をふにゃりと細めながらあっけらかんと言った。

「『龍さん、俺馬刺しが食いたい』って」

「ばさっ・・・」

「『それも、血が滴るような活きのいいが』」

 ウマくーん!!可哀想だ!私は心の底からその時のウマ君に同情した。機嫌が悪く半眼になった店長は、さぞかしさ殺気立って見えたに違いない。ううう。不憫だ!

「め、め、迷惑かけちゃダメですよ!店長なのに、そんなっ・・・」

「店長だから出来るんでしょ~。ほら、そんなことばっかいわねーで、こっちおいでシカ。おはよーのちゅーは?」

「はっ!?」

 何だって~!?私はきっと赤面しているはずだ。悔しくて視線を外し、私は立ち上がろうとする。その時手がのびてきて、私はまたひっぱられ、床の上へと転がされる。

「うっきゃああ!?」

 がばっと上に覆いかぶさって、トラさんが言った。

「そんなツンツンすんなよ。それも涙目で。食べたくなるぞー」

「たっ・・・食べって――――」

 ここではダメですよっ!!それは声に出せなかった。その時にはすでにトラさんの顔は降りてきていて、私は久しぶりの熱いキスを受けていたからだ。

「ん~・・・んん~っ!」

「これこれ、反抗しないの。余計噛み付きたくなるからさ」

 ククク、とトラさんは笑う。激しい口付けに頭がくらくらする。寝起きとは思えない凄いスピードで私が着ているスーツのジャケットのボタンを外してしまったらしく、彼の大きな手がブラウスの上を這い回る。

「ひゃっ・・・ダメで・・す!ここでは・・・も、う・・」

 ジタバタ暴れてやろうにも、トラさんは余裕で組み敷いてけらけら笑うばかり。口付けで頭が痺れる。こぼれた涙は彼が舐め取ってしまう。トロトロになってしまった私がほとんど半分ほど剥かれたと思ったその時、ガーン!と強烈な金属音が部屋中に響き渡った。ぴたりとトラさんの手が止まる。

「・・・コラ、おめーらいい加減にしやがれ。俺が下にいるっつーの」

 森の入口、階段の踊り場で、龍さんが眉間に皺を寄せて立っていた。折角の美形を裏切るしっぶ~い顔つきで。手にはフライパンとおたま。どうやらこれを叩いたらしい。

「うっきゃあああ~!」

 私は慌ててシャツを胸へ引き寄せて叫ぶ。だけどトラさんはそのままの体勢で、あははは~と笑った。

「あ、ごめん龍さん。まだ居たんだ」

「居て悪かったな。俺だって早く帰りたいっつーんだよ。でももし虎がシカに暴力働いたらダメだと思って・・・」

「やだなー。シカ坊にそんなことしませんよー」

「・・・今してるのは何なんだよコラ」

 トラさんがまたあははは~と軽やかに笑う。

「これは愛の抱擁ってヤツ」

 ――――違いますっ!!私は彼の下でそう思ったけれど、声には出さなかった。

 龍さんは嫌そうな声で唸ったけれど、ため息を吐いて言った。

「・・・ま、仲直りは出来たようだな。俺は帰る。全く今日は俺だって大事な日なのに・・・」

 あれ何か用事あるの?と聞くトラさんに、龍さんは俺だって彼女がいるんだよっ!と噛み付く。

 それから階段を降りかけながら、ちょっと顔を出してにやりと笑った。

「下の鍵はしめといてやる。終わった後は換気くらいしとけよー。―――シカ、まあ楽しめ」

「はっ!?ちょっと龍さん~っ!?」

「ありがとー龍さん、お疲れ様~」

 お~、と片手を挙げてげらげらと笑いながら龍さんは降りていった。そして店のドアの閉まる音。

 両手で自分の体を支えながら、上からトラさんが見下ろしてくる。その顔は嬉しそうで機嫌がよさそうで、今にも舌なめずりをしそうな顔だった。

「あのっ・・・ト――――」

「ここが」

 彼が言った。

「初めてシカを抱いた場所だったよな、そういえば」

「――――」

「折角クリスマス・・・あ、今日はイブか。まあ何でもいいんだ。とにかくシカが半裸で俺の下にいる。山神様もきっと見守ってくれてるし、ここは喜んで喰らって―――――」

「うっきゃあああ~!」

 トラさんは、始終笑顔だった。

 いつも私に見せてくれていた優しい笑顔じゃなかったけど、でもそのたくらんだような、悪そうで嬉しそうな笑顔も、実は私は好きだったりするのだ。

 服はすぐに全部どこかに飛ばされてしまった。上に下にと私を転がしながら、トラさんは言う。シカ、スーツを着ているやつらはこんなことしないよ、って。俺は違う。惚れた女は骨まで全部しゃぶりつくしてやるんだ、って。ほらね?知らない世界を見せて欲しいなら、まだまだ連れてってやるよ。これでも判らないなら判るまでやるけどー?って。

 私はもうぐちゃぐちゃになってしまって、声がかれてしまったのだった。

 これは見せしめだ、そう言って彼は私の全身にキスマークをつける。大きく揺さぶられていて私は苦情なんていえなかった。それどころじゃなかったのだ。熱くて、ドロドロで、甘すぎて。

 外の気温はかなり低かったはずだ。

 だけど、山神の2階、森は確実に夏の暑さを再現していたと思う。

 光る目を細めて虎が笑う。

 私はその嬉しそうな声を聞きながら、ああ、幸せだなあなんて思っていたのだった。



 翌日、トラさんはツルさんに散々文句を言われたらしい。

 店に出たら龍さんがべらべら~と喋ってしまっていて、仏頂面のツルさんがいたそうだ。そして彼女は両手を腰にあてて、「全くいいオッサンが何してるんですか!そーんなに店を私物化するならオーナーに話しますし、こんなことが続くなら私は今日で辞めさせてもらいます!」と大声で怒鳴ったとか。

 クリスマスで、客も多い予定。不機嫌なバイトリーダーでは店が盛り上がらないし、ツルさんに辞められたら勿論めちゃくちゃ困るので、トラさんは渋々謝ったそうだ。主に森で私とした行為について。そしてその後で、お喋りな龍さんを階段から落としてやろうと付回したらしい。

 気がついた龍さんはトラさんに背中をむけないようにし、常に包丁を握っていることで防衛したとか。

 そして、その二人を見て頭痛がしたツルさんは結局日々立オーナーに電話をいれ、閉店後、店長と板前は揃って注意を受けたらしい。ツルとウマとウサギの前でコンコンと。

 私はその話を口を尖らせるトラさんから聞き、心の中で大いに笑った。

 ・・・来年も、山神が平和でありますように。



 「山神様にお願い」終わり。


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 皆様ハッピーなクリスマスをお過ごし下さい!